
静岡県の蔵元は、江戸期、東海道の宿場町を中心に発展しました。
太平洋戦争中は原料米不足の折から統廃合を余儀なくされ、生き残った蔵元も、昭和50年代前半までは大半が灘の下請けで生計を立てるなど“日陰の時代”が続きます。
昭和50年代後半から下請けの量が減り始め、さらに経営が苦しくなった蔵元は、今まで経営の柱には考えなかった高コストの吟醸酒で生き残りを図る英断をします。この時に追い風となったのが『静岡酵母』。蔵元に技術指導をしていた静岡県工業技術センターで、蔵元が自立するには他地域の亜流にならず、独自スタイルで勝負すべきと考え、吟醸造りの実績を持つ県内の蔵で発見した酵母菌をもとに、バイオテクノロジーを駆使して開発したもので、昭和61年全国新酒鑑評会で金賞10、銀賞7で入賞率全国一位を獲得。地域単位での独自酵母開発、大量入賞、吟醸造りの確立は、全国にも例がなく、酒どころとしては無名だった静岡県を一躍「吟醸王国」にしました。
日本酒のうち、特別な製法によって造られる特定名称酒(本醸造・純米酒・吟醸酒)は、全国平均では4割しか造られていませんが、静岡県は8割という特異な県です。特定名称酒という高付加価値の酒が出品用やマニア向けではなく、市場に受け入れられている証拠です。
静岡県が「吟醸王国」になったのはコンテストがきっかけでしたが、今はコンテストの審査員ではなく、売り手や呑み手が身銭を払って“王国の証明”をしています。真の王国になった証拠です。